文学・会議

海外文学を中心に、読書の備忘録です。

ミシェル・ウエルベック『ショーペンハウアーとともに』

ミシェル・ウエルベック 澤田直

ショーペンハウアーとともに』 国書刊行会

 

ミシェル・ウエルベックの『ショーペンハウアーとともに』を読了しました。現代フランスを代表する作家のひとりであるミシェル・ウエルベックが、20代のときに出会って決定的な影響を受けたという哲学者ショーペンハウアーのコメンタリー(のようなもの)として書かれたのが本書です。しかし、本書の序文によれば、このショーペンハウアーの注釈書を書くというプロジェクトは志半ばで途中放棄されたようです。しかし、その途中放棄の原因が何であるのかということ、また、それではなぜ一体本書が世に出たのかといった当然の問いに対しては、この序文は何の回答も与えてくれません。

 

ウエルベックの小説が(通俗的な意味ではなく、狭い意味で)哲学的であるということは作品を通して感じていたことなのですが、なるほど彼の根本にある思想が古今の哲学者に真剣に取り組んだことによって鍛えられたものだとすれば、腑に落ちる部分も多いように思います。本書がショーペンハウアーの「解説書」として優れているとは決して思わないのですが、ウエルベックの作品世界の背景を成すものに触れるという意味では、手に取る価値のある書物だとは思います。

 

【満足度】★★★☆☆

ジェイムズ・ディッキー『救い出される』

ジェイムズ・ディッキー 酒本雅之訳

『救い出される』 新潮文庫

 

ジェイムズ・ディッキー(1923-1997)の『救い出される』を読了しました。村上柴田翻訳堂の企画で復刊された一冊です。原題は“Deliverance”で1971年に日本で翻訳出版されたときには『わが心の川』という邦題だったようですが、今回復刊されるにあたって村上春樹氏の進言によって『救い出される』という訳に変更されたようです。作者であるディッキーは詩人で、本書が初めて書かれた小説作品とのこと。

 

渓流をカヌーで下る計画を立てて山奥に分け入った四人の男性が、現地に住む山男たちからの不意の暴力によって窮地に陥りながら、そこからの脱出を試みるというストーリー。冒険小説、サスペンス小説といった枕詞が似合いそうな筋立てではあるのですが、緊密な文体と主人公の覚醒によって、単にリーダブルであるだけではなくて一種独特な力を獲得している作品でした。復刊されてこうして気軽に手に取ることができるのは、喜ばしいことだと思います。

 

【満足度】★★★☆☆

板橋好枝・髙田賢一編著『はじめて学ぶ アメリカ文学史』

板橋好枝・髙田賢一編著

『はじめて学ぶ アメリカ文学史』 ミネルヴァ書房

 

板橋好枝・髙田賢一編著『はじめて学ぶ アメリカ文学史』を読了しました。古本屋で何となく手に取って買い求めたものですが、棚に何冊か置いてあったことからすると、どこかの大学で教科書として使われていたのでしょうか。文学というものを体系的に学んだ経験はないのですが、こうした書物でしか得ることができない見通しのようなものも確かにあるのだと思います。

 

【満足度】★★★☆☆

トンミ・キンヌネン『四人の交差点』

トンミ・キンヌネン 古市真由美訳

『四人の交差点』 新潮社

 

トンミ・キンヌネン(1973-)の『四人の交差点』を読了しました。キンヌネンはフィンランドの作家で、デビュー作である本書が国内でベストセラーになるとともに16か国で翻訳されたとのこと。新鋭作家との出会いの場を作ってくれるのが、新潮クレストブックスの良いところですね。

 

本書はプロローグとエピローグをなす部分を除いて四章からなる構成で、その四章のそれぞれには、ある家族の三世代にわたる四人の人物の名前が冠せられています。そしてそれらの各章において、章題に登場する人物のエピソードが年代記ふうに綴られていくことで、本書全体を通じて四人の一生とひとつの家族の姿が描かれていくことになります。

 

本書で描かれているのは、人生に孤独を感じて苦闘する人々の姿です。ひとつの家、ひとつの家族をなしながら、お互いの思いは、しばしばすれ違いを見せます。安易な調和がもたらされない状況において、一筋の繋がりが見え隠れする様を描いてみせる筆致には好感が持てました。

 

【満足度】★★★☆☆

柳瀬尚紀『翻訳はいかにすべきか』

柳瀬尚紀

『翻訳はいかにすべきか』 岩波新書

 

柳瀬尚紀(1943-2016)の『翻訳はいかにすべきか』を読了しました。「翻訳という語は、筆者にとって、あくまで日本語である」と本書の冒頭で宣言されていますが、「日本語」への翻訳にこだわる著者は、本書において英和辞典そのままの訳語を当てた直訳や代名詞の羅列をこれでもかとばかりに批判していきます。

 

柳瀬氏に言わせると名文家で知られるアップダイクは日本において翻訳者には恵まれておらず、『フィネガンズ・ウェイク』の翻訳をものした柳瀬氏は、もちろん『ユリシーズ』の翻訳についても一家言を持っています。氏の「翻訳」に対する並々ならぬ情熱やプロ意識を十分に感じることができて、『フィネガンズ・ウェイク』も読んでみようかなと思うのでした。

 

【満足度】★★★☆☆

W・サローヤン『パパ・ユーア クレイジー』

W・サローヤン 伊丹十三

『パパ・ユーア クレイジー』 新潮文庫

 

W・サローヤン(1908-1981)の『パパ・ユーア クレイジー』を読了しました。本書は昭和63年発行の新潮文庫で、ピンク色の背表紙に懐かしさを覚えます。「今月の新刊」と書かれた帯には「想像力と数百円 新潮文庫」というコピーが付されていて、本書の定価は280円。物価水準が違うとはいえ、本当に本の値段が高くなってしまった現在と比べて、また違う感慨も覚えてしまいます。

 

カリフォルニア州の海辺の町・マリブを舞台に、父と子の生活を切り取った小説です。子どもを書くのがとても上手なサローヤンですが、本書でもその腕は冴えわたっています。父と子の間で交わされる、生き生きとした言葉遊びのやり取りは、それ自体何ということのない文章なのですが、読まされてしまいます。

 

サローヤンの小説が本質的に持っている前向きさのようなものは、本書からもよく感じ取ることができて、それは小説を書くようにと息子に諭す次のような父の言葉によっても言い表されています。

 

「作家というものはこの世界に恋をしていなきゃならないんだ。さもなければ彼は書くことができないんだ」

「どうして書けないの?」

「それはね、善いものはすべて愛から発するからさ。作家がこの世界に恋している時、彼はすべての人に恋しているわけだ。そこのところを本気で追及してゆけば彼は書くことができるのさ」

 

映画監督の伊丹十三氏による翻訳というのも珍しいです。

 

【満足度】★★★★☆

J・M・クッツェー『サマータイム、青年時代、少年時代 ―辺境からの三つの〈自伝〉』

J・M・クッツェー くぼたのぞみ訳

サマータイム、青年時代、少年時代 ―辺境からの三つの〈自伝〉』 インスクリプト

 

J・M・クッツェーの『サマータイム、青年時代、少年時代 ―辺境からの三つの〈自伝〉』を読了しました。もともとは『少年時代』、『青年時代』、『サマータイム』という別々に出版された自伝的作品を、あらためて一巻にまとめたのが本書です。なかでも、クッツェーが作家としてのスタートを切った頃の時期を描いた(?)『サマータイム』は、彼自身にとって三度目となるブッカー賞候補作になるほど(受賞はなりませんでしたが)の評価を受けています。

 

上でクエスチョンマークを付けざるを得なかったのは、本書が「自伝的」作品ではありながらも、虚構を織り交ぜて書かれたものだからで、そのあたりの解題は本書の解説でも詳しくなされています。アフリカーンスとしての自己同定、「世界文学」の希求、自意識、家族との距離感、セックス、安易な理想。ひとりの男の人生に向けられた第三者的な批評意識とユーモアのバランス感覚が優れている点には、いつもの通り感心させられるのですが、この長い長い自伝を読み終えた今の段階では、まだ私の中で消化不良な部分もあります。果たして何年後のことになるか解りませんが、いつかまた読み返してみたいと思います。

 

【満足度】★★★★☆