文学・会議

海外文学を中心に、読書の備忘録です。

ゾラ『ナナ』

ゾラ 川口篤・古賀照一訳

『ナナ』 新潮文庫

 

19世紀後半に活躍したフランスの作家・ゾラ(1840-1902)の『ナナ』を読了。以前にゾラの『居酒屋』を読んで、公衆浴場だったか洗濯場だったか、裸同士の女性が殴り合いの喧嘩をする場面の描写を読んで、それまで読んできたフランス貴族たちの社交を描く小説とはずいぶん趣きが違うなと驚いたことを覚えています。本書の主人公ナナは、その『居酒屋』の主人公であるジェルヴェーズの娘です。

 

ある作品で脇役だった登場人物が同じ作家の別の作品で主役として登場するという、この「登場人物再登場法」は小説の魅力をぐっと拡げれくれたものだと思うのですが、この手法はもともとバルザック(1799-1850)が生み出したものだと聞いたことがあります。さらにいえば、バルザックの『人間喜劇』に向こうを張って展開されたゾラの『ルーゴン=マカール叢書』という構想自体が、バルザックの比類ない着想に恩恵を得ているわけで、そうした影響関係も含めて19世紀のフランス文学は面白いなと思います。

 

ゾラの描写はある意味で過剰というか、それにハッとさせられるときもあれば、ときに嫌気がさしてしまうこともあるのですが、本書の冒頭でナナが(文字通り劇場の)舞台に登場したときの描写はなかなか印象に残るものでした。登場前から新スターのデビューと噂されて聴衆の期待を集めるナナに対して劇場の支配人は、ナナの声は「噴霧器そっくり」でその所作は「手足の置き場所も知りやしない」と評します。しかしそれでもナナには「ほかのすべての物に代る物がある」と。そしてその言葉通り、舞台に上がったナナは調子はずれの声で見苦しい身のこなしをしながらも、その不思議な魅力で観客の心をとらえていきます。

 

相変わらずの塩辛声だったが、今度はうまくお客の勘どころを押えたので、時折は軽い戦慄を惹き起したほどだった。ナナは依然としてその笑いを堪えていたので、紅い小さな唇は輝き、綺麗に澄んだ青い大きな眼は光っていた。すこし刺戟的な詩句のところになると、甘い官能にナナの鼻は膨らみ、バラ色の小鼻はひょこついて、頬にはさっと血の気がのぼった。相変らず彼女は身体を揺すぶり続けるだけで、それ以外の仕草は何も知らなかった。しかし、お客はもうそれを少しも不様だとは思わなかったし、それどころか男たちは一斉にナナにオペラ・グラスを向けるのだった。

 

本書は文庫本で700ページ超の長さがあります。ナポレオン三世第二帝政期を舞台として時代の諸相を描き切るというゾラの目論見からすれば、少なくともこれくらいの長さは必要なのかもしれませんが、読み進めていて途中で少しダレてしまうのも事実。しかし細部の描写が鮮烈なので、いつまでも記憶に留まる作品になりそうです。

 

【満足度】★★★☆☆