文学・会議

海外文学を中心に、読書の備忘録です。

カズオ・イシグロ『日の名残り』

カズオ・イシグロ 土屋政雄

日の名残り』 ハヤカワ文庫

 

カズオ・イシグロ(1954-)の『日の名残り』を読了。本書を読むのは大学時代に続いて二回目のことでした。2017年にノーベル文学賞を受賞したおかげもあってか、古本屋にきれいな新古書があふれていて、以前に読んだのは中公文庫版であったためハヤカワ文庫版も読もうと考えて再読したのですが、よくよく調べてみると同じ翻訳の移植でした。しかし、あらためて面白かった。その感想に尽きます。二回目に読んだときの方が一回目よりも感動するという作品もなかなかめずらしいのではないかと思います。

 

本作は「信用できない語り手」の物語であるということを、友人から聞かされた上で読み始めたのが一回目の読書でした。執事スティーブンスはナチスに協力した自らの主・ダーリントン卿を美化して語り、女中頭であるミス・ケントンへの自分の態度を職務上の模範に則ったものと捉えています。しかし物語の終幕に向けて、少しずつそうした認識の綻びが顕わになることで、スティーブンスは自らの人生の黄昏に直面することになります。

 

ダーリントン卿は悪い方ではありませんでした。さよう、悪い方ではありませんでした。それにお亡くなりになる間際には、自分が過ちをおかしたと、少なくともそう言うことがおできになりました。卿は勇気のある方でした。人生で一つの道を選ばれました。それは過てる道でございましたが、しかし、卿はそれをご自分の意志でお選びになったのです。少なくとも、選ぶことをなさいました。しかし、私は……私はそれだけのこともしておりません。私は選ばずに、信じたのです。私は卿の賢明な判断を信じました。卿にお仕えした何十年という間、私は自分が価値あることをしていると信じていただけなのです。

 

 執事スティーブンスの悔恨がにじむ一節ですが、今回印象に残ったのは、その少し後に語られる以下の独白です。

 

あのときああすれば人生の方向が変わっていたかもしれない――そう思うことはありましょう。しかし、それをいつまで思い悩んでいても意味のないことです。私どものような人間は、何か真に価値あるもののために微力を尽くそうと願い、それを試みるだけで十分であるような気がいたします。そのような試みに人生の多くを犠牲にする覚悟があり、その覚悟を実践したとすれば、結果はどうであれば、そのこと自体がみずからに誇りと満足を覚えてよい十分な理由となりましょう。

 

 それなりに多くのままならないことを体験してきた身として、この認識を自己欺瞞と呼び捨てることにはいささか躊躇を覚えてしまいます。痛烈な自己批判の後でも巧みに己を正当化するスティーブンスのパーソナリティは、何というか、私にとっては哀切を誘うものがあります。そして彼が未来に向けて研鑽を積もうと考えているのが「ジョークの技術」であることに、深い共感も覚えるのです。

 

【満足度】★★★★★