文学・会議

海外文学を中心に、読書の備忘録です。

J・M・クッツェー『マイケル・K』

J・M・クッツェー くぼたのぞみ訳

『マイケル・K』 岩波文庫

 

J・M・クッツェー(1940-)の『マイケル・K』を読了しました。2003年にノーベル文学賞を受賞したクッツェーの作品を読むのは、本書『マイケル・K』と同じくブッカー賞を受賞した『恥辱』に続いて二冊目です。書かれたのは本書の方が早くて1983年で、本書はクッツェーの四冊目の作品とのこと。

 

いたって透明な名前を与えられた主人公のマイケル・Kですが、物語の中で語られる彼の人生は苛烈なものです。彼は南アフリカケープタウンで口唇裂をもって生まれ、頭の回転が遅いという理由で恵まれない子どもたちに教育を授ける学園に預けられて成長します。そして十五歳で学園を出た後は公園管理局に雇われて庭師として働いていましたが、やがて病気の母親に請われるがままに、故郷に帰りたいという母親を連れて内陸のプリンス・アルバートへ向けて移動します。彼が役所に申請した許可証を結局手に入れることができないのは、(彼と同じ名を持つ)カフカの『城』の主人公のことを思い出させます。

 

ある意味では現代の「毒親」であると言えなくもない母親の姿など印象に残る点が多い作品で、小説らしい小説、文学らしい文学でした。母を亡くした後のマイケル・Kの彷徨は何というかビルドゥングス・ロマンの真逆をいくもので、彼の元には様々な「指南役」が現れるのですが、彼はそれらに本能的な拒絶感を覚えます。

 

これは俺にとって教育なんだろうか? ついに俺はこのキャンプで人生について学んでいるのだろうか? 目の前で次から次へ人生のシーンが演じられ、そのシーンがすべてしっかりと結びついているような気がした。それらのシーンがたった一つの意味に集約されていくような、何か悪いことに集約されていくような不吉な予感がしたが、それがどんなものになるのか、Kには見当もつかなかった。

 

本書の第二章では、マイケル・Kが運び込まれてきた病院の医師が語り手として配置され、まるで食事を取ろうとしないマイケル・Kを評して「彼はまるで石だ」と表現します。そして、その病院を脱走した後のマイケル・Kの姿を描く短い第三章では、彼は次のように独白しています。

 

俺が行くところはどこでも、それぞれのやり方で俺に慈善を施そうとする人間が待ちかまえている。ここ数年ずっと、そしていまも、俺が孤児に見えるからだ。

 

そこで彼が思うのは、彼に何かを教えてくれようとした「キャンプ」や人々のことではなく、それらから離れて一人で暮らした日々の大地のことであり、そこから彼が見出した時間に関する命題のことを、彼は「モラル」ではないかと考えるのです。本書の原題は「Life & Times of Michael K」です。

 

おそらくは読み返すたびに違う発見があるのだと思いますが、一つの作品としてしっかり読ませるものにもなっていて、とても楽しく有意義な読書体験でした。

 

【満足度】★★★★★