文学・会議

海外文学を中心に、読書の備忘録です。

ベルクソン『時間と自由』

ベルクソン 中村文郎訳

『時間と自由』 岩波文庫

 

ベルクソン(1859-1941)の『時間と自由』を読了しました。1889年に発表されたベルクソンの学位論文で、この岩波文庫での邦訳の題は『時間と自由』なのですが、直訳では『意識に直接与えられたものについての試論』となります。ちなみにベルクソンは1927年にノーベル文学賞を受賞していますが、いわゆる文学者ではなく哲学者です。同じく哲学者(論理学者)であるイギリスのバートランド・ラッセルノーベル文学賞を受賞しているのですが。

 

本書は学位論文ということもあって極めて明確な記述のされた方をしていて、冒頭に結論が置かれ、その後にその結論を論証するための叙述が展開され、最後に結論部で冒頭の主張がより一層の説得力をもって繰り返されるという構造になっています。本書で手を変え品を変えて繰り返される論述が目指しているのは「拡がっていないものを拡がっているものへ、質を量へ翻訳したために、立てられた問題そのもののうちに矛盾を引き入れた」哲学的諸問題を解きほぐすことのようです。

 

「意識に直接与えられたもの」とはベルクソンのいう「純粋持続」のことなのですが、ベルクソンに言わせると、この純粋持続は「質を量へ翻訳」してしまうことによって、たいてい何か別のものに取り違えられてしまっています。エレア学派の錯覚としてベルクソンが指摘する「アキレスと亀」のパラドクスは、運動を空間の外的表象(拡がっているもの)と混同することによって生じるものであるとされます。この論文におけるベルクソンの本懐は、こうした混同を解きほぐすことによって「自由」を決定論から解き放つことにあります。しかし、内的な諸状態の哲学的直観によって得られた「純粋持続」という概念をあらゆる論述の基礎に据える彼の哲学は、20世紀前半の哲学に大きな影響を与えたものであるにせよ、現代の目からはどのように映るのでしょうか。何となく複雑な気分も覚えてしまいます。大学時代に何となく読んでいた本書をあらためて一通り読み直してみて、そのような感慨を覚えてしまうのでした。

 

【満足度】★★★☆☆