文学・会議

海外文学を中心に、読書の備忘録です。

スティーヴン・P・スティッチ『断片化する理性 認識論的プラグマティズム』

ティーヴン・P・スティッチ 薄井尚樹訳

『断片化する理性 認識論的プラグマティズム』 勁草書房

 

ティーヴン・P・スティッチ(1943-)の『断片化する理性 認識論的プラグマティズム』を読了しました。認識論を自然化するというクワインの標榜したプロジェクトは、本書においては「われわれは本当に自分の信念が真かどうかを気にかけているのだろうか」と問われる地点まで至っています。信念の正当化を巡るグッドマン流の試みに散々挫折した後でスティッチがたどり着いた地点は、認識論における多元主義という立場であり、相対主義ではないかという批判に対しては「支離滅裂に陥ることなく認識的相対主義者であることは可能だ」と主張します。1990年に発表された本書は、二十世紀における自然主義的認識論のひとつの到達点であるとも言えるのかもしれません。

 

【満足度】★★★★☆

チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ『アメリカーナ』

チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ くぼたのぞみ訳

アメリカーナ』 河出文庫

 

チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ(1977-)の『アメリカーナ』を読了しました。アディーチェはナイジェリアの作家で、2013年に発表された長編第三作である本書は全米批評家協会賞を受賞しています。気になっていた作家のひとりなのですが、ようやく彼女の本を手に取ることができました。

 

ナイジェリア出身で現在はアメリカのプリンストンでフェローとしての生活を送っているい女性・イフェメルが、アフリカン・ヘアサロンの店員に対して故郷であるナイジェリアへの帰国について語る場面から物語は始まります。このあたりの場面設定も絶妙だなと思わされるのですが、イフェメルは人種問題をテーマにしたブログの執筆で有名になっていて、日常生活においても、そしてそれをブログというかたちで言語化するというレベルにおいても、アフリカ人としての自己同一性を絶えず相対化しながら暮らしています。そんなイフェメルの視点を中心にしながら、彼女のかつての恋人で今はナイジェリアに暮らすオビンゼも含めた過去の挿話が時空を入れ替えながら展開され、本書は全体としてとてもリーダブルな物語として楽しむことができるものになっています。

 

本書の物語の行く末については、読む時期やタイミングが違えば、また今回の読書とは違った印象を持ったのではないかとも思うのですが、いずれにしても楽しく読むことはできました。

 

【満足度】★★★☆☆

ドメニコ・スタルノーネ『靴ひも』

ドメニコ・スタルノーネ 関口英子訳

『靴ひも』 新潮社

 

ドメニコ・スタルノーネ(1943-)の『靴ひも』を読了しました。本書の裏表紙のカバーには、イタリアへと移住したジュンパ・ラヒリが惚れ込んで英訳したというエピソードが記されています。短いながら、母親、父親、そして子どもというそれぞれの立場から語られた家族のかたちが心に残る良い作品で、これほどに推薦文や紹介文どおりの読後感を得られる作品も珍しいといえるかもしれません。

 

【満足度】★★★☆☆

磯﨑憲一郎『往古来今』

憲一郎

『往古来今』 文春文庫

 

憲一郎の『往古来今』を読了しました。5篇の短編小説が収められた作品集です。磯氏は小説でしか描けないものを表現するのが上手な作家というイメージなのですが、本書に収録されたいずれの作品も小説ならではの時間的・空間的なずらしを含みながら読者の前に広げられています。「ビートルズで言うところの『ビートルズ・フォー・セール』や『ラバー・ソウル』に位置するような作品」とは「あとがき」における作家本人の言葉なのですが、たしかに、音楽というものの幅を広げようとした雑多なストレッチの結晶である音楽アルバムと似たような印象を受けなくもないといったところ。

 

【満足度】★★★☆☆

 

 

ウィリアム・ギャディス『JR』

ウィリアム・ギャディス 木原善彦

『JR』 国書刊行会

 

ウィリアム・ギャディス(1922-1998)の『JR』を読了しました。1975年に発表された本書の原題は“JR FAMILY OF COMPANIES”で、11歳の少年JRがひょんなことから手にした株式をもとに巨大コングロマリットを創り上げて、世界経済に波乱を巻き起こすという筋立てになっています。一方で、意図的に5Wを欠いたかたちで叙述される物語は、そこがどこなのか、一体誰がしゃべっているのか、その場で何が起きているのか、といった読書における基本的な把握事項を、思い込みに満ちた登場人物たちの台詞と申し訳ばかりに挿入される地の文から類推するしかないという代物で、到底一回の読書だけでは複雑なプロットをすべて飲み込むことはできない構成になっています。

 

ハードカバー二段組で本文が900ページという長大な作品ですが、不思議ともう一度読みたくなってしまう魅力を持っています。錯綜するプロットの中から新しい発見をしていくことこそを読書の喜びと感じる読者にとっては、まさに格好の課題がここにはあるのでしょう。

 

【満足度】★★★★☆

 

ザミャーチン『われら』

ザミャーチン 松下隆志訳

『われら』 光文社古典新訳文庫

 

エヴゲーニイ・ザミャーチン(1884-1937)の『われら』を読了しました。ロシアの作家ザミューチンの代表作です。ハクスリーの『すばらしい新世界』やオーウェルの『1984年』に先行して書かれたディストピア小説で、共産主義社会に批判的な内容から、ロシア(ソ連)本国ではようやく1988年になってから出版されたとのこと。

 

同じディストピア小説でも、ザミャーチンのそれはどこかロシア文学的で、ハクスリーの方はどこか英文学的であるのが不思議なところ。これは翻訳のせいもあるのでしょうか。

 

【満足度】★★★☆☆

 

 

ジョン・ロック『統治二論』

ジョン・ロック 加藤節訳

『統治二論』 岩波文庫

 

ジョン・ロック(1632-1704)の『統治二論』を読了しました。ロックの政治哲学上の主著といえる作品で、文字通り「統治(government)」に関する二つの論考が収録されています。

 

「統治について」と題された前篇では、聖書におけるアダムの記述を詳細に引きながらロバート・フィルマーが唱える王権神授説への丁寧な反駁がなされます。このあたりの論述のスタイルは『人間知性論』におけるそれを思わせるものになっていて、まさにロックの真骨頂という印象です。そして「政治的統治について」と題された後篇では、社会契約による政治的統治の成立と革命権を含めたその委細について詳述されます。こちらはどちらかというと論争的というよりは、体系的な論述が目に付きます。

 

【満足度】★★★★☆