『ファイアズ(炎)』 中央公論新社
レイモンド・カーヴァー(1938-1988)の『ファイアズ(炎)』を読了。全集の第4巻にあたる作品で、エッセイ、詩、短編小説のそれぞれが収められたカーヴァー自身が選んで出版された作品集とのこと。カーヴァーの短編については、村上春樹の影響もあって高校時代からよく読んでいたのですが、エッセイや詩を読むのは初めてのことです。
全体を読了してみて最も印象に残ったのは本書の前半に収められたエッセイで、さらにいえば表題作にもなっている「ファイアズ(炎)」でした。作家になりたいと望みながらも、二人の子どもを抱えて日々の雑事に追われるカーヴァーは、土曜日のコイン・ランドリーで子ども服を抱えて、突然ある事実を洞察してショックを受けます。
私は今本物の影響ということについて話をしている。私は月と潮の満ち干について話している。でもそれは本当に、出し抜けに私のところにやって来たのだ。誰かが窓をさっと開けて一陣の風が入りこんでくるように。
(中略)
その瞬間に私は感じたのだ―私は知ったのだ―私が今身を置いている人生は、私が憧れている作家たちの人生とはかけ離れた類いのものなのだと。作家は土曜日をコイン・ランドリーで潰したりはしないのだ。
カーヴァーはその後の人生において、真の作家になるために必要な「炎」を持っていたことを証明するわけですが(もちろんそれなりの代償を支払いながら)、そこへと至るまでにくぐり抜けなければならない日常の泥の重さのことを思うと、いたく共感を覚えてしまうわけでした。
朝晩は風が冷たくなってきて、自分の体調も崩れつつある(扁桃腺が腫れている)のを感じます。用心して過ごさなければ。
【満足度】★★★☆☆