文学・会議

海外文学を中心に、読書の備忘録です。

ナボコフ『カメラ・オブスクーラ』

ナボコフ 貝澤哉

『カメラ・オブスクーラ』 光文社古典新訳文庫

 

ナボコフ(1899-1977)の『カメラ・オブスクーラ』を読了しました。本書はナボコフがロシア語で執筆した長編小説のロシア語原点からの翻訳です。これまでにも英語で執筆されたナボコフの作品の多くは翻訳されているのですが、近年はロシア語から直接翻訳した作品の刊行が続いている印象です。新潮社から全5巻の刊行が予定されている「ナボコフ・コレクション」も既に二冊が出版されていますね。

 

本書の主人公はドイツ・ベルリンに暮らす絵画の鑑定家であるクレッチマーです。このクレッチマーが映画館で出会った16歳の美少女マグダの虜になってしまうところから物語が展開していくわけですが、こうした筋立てはナボコフが後年に著した『ロリータ』の原型であるとも言われているようです。少女の奔放さと裏切りによって悲劇的な結末を迎えてしまうという点も両作に共通しています。

 

難渋なテキストで知られるナボコフですが、本書は比較的すらすらと読み進めることができました。ナボコフの仕掛けた企みの一つひとつを見出すには、彼自身が推奨する再読が必要なのだと思いますが。面白かったのは、クレッチマーがマグダの裏切りに気付くきっかけを作ってしまうことになる、クレッチマーの旧友であり小説家のゼーゲルクランツのエピソードでした。彼は自分が目撃した「事実」を「小説」にアレンジしたものをクレッチマーに朗読してみせるのですが、それがマグダの不貞をクレッチマーに知らせることになるのです。そのことを後から知ったゼーゲルクランツは深い悔恨の念を覚えます。

 

ゼーゲルクランツには、自分が書いたものがもう文学なんかではなく、けがらわしい真実に気取った言葉の小細工という調味料をまぶした無礼千万な匿名の怪文書のようにしか思えなかった。人生を公平無私な正確さで再現するべきだという彼の前提、移ろいゆく時の一瞬の相貌を永遠にページの上に定着させるたった一つのやり方だと、つい昨日まで彼が思っていた方法が、今ではもう、やりきれないほどに野暮ったく、いかにも悪趣味なものにしか見えなかった。…(中略)…あきらかになったのは、ほんの一瞬であれ人生を晒しものにしようとした者は、人生から復讐されるということだ。

 

ここにはナボコフの小説観の一端が逆説的に表現されているような気もします。

 

ゆっくりと読み進めているナボコフの短編全集の方は、いつになったら読み終わるのか解りませんが、すばらしい作品群を再読するためにも、まずは少しずつ初読を進めていきたいと思います。

 

【満足度】★★★★☆