文学・会議

海外文学を中心に、読書の備忘録です。

J・M・クッツェー『イエスの幼子時代』

J・M・クッツェー 鴻巣友季子

『イエスの幼子時代』 早川書房

 

J・M・クッツェー(1940-)の『イエスの幼子時代』を読了しました。2013年に刊行された本書は、2016年の『イエスの学校時代』(翻訳は近刊)、そして2019年の“The Death of Jesus”の三部作の最初の作品に当たります(少なくとも現時点では)。スペイン語公用語として話される架空の土地に流れ着いた初老の男と少年は、どこか熱量の少ない人々が暮らす街で新たな人生のあり方を模索していきます。

 

天真爛漫に振舞う少年ダビードが、本書のタイトルにもあるイエスに模せられているのだとすれば、ダビードに「代父」として付き添うシモンは、使徒ペテロに当たるということになるのでしょうか。そしてシモンが直感的にダビードの「母親」であると洞察するイネスは聖母マリアということになるわけですが、この三人の関係性はいささか複雑であり、作中で描かれる三人の距離感も、(私が理解する限りでの)キリスト教の伝統的な有様とは似ても似つかないもののように思われます。

 

面白いのは作中で語られる「哲学的な」談論で、椅子の椅子性について議論がなされる哲学のカルチャースクールはさておき、荷役場で語られる労働を巡る議論や、大人たちの会話を巡るダビードの素朴な(あるいは大人を困らそうとして為される意図的な)質問において主題化される事項こそ、本書を著したクッツェーの最大の関心事であるようにも思われます。ただそれらのいずれについても、作者によってアイロニカルな煙幕が張られているせいもあって、何か特定のメッセージが立ち現れてくるということはありません。

 

図式に囚われた人間とそこからの脱出の苦闘、もしくはその図式との折り合いのつけ方、あるいはそこから抜け出すことが能わないまま図式との絡まり合いの中に存在し続けざるを得ない人間の姿を描く、というのが本書から感じ取られた印象なのですが、この三部作をすべて読んでみて、クッツェーがこれらの作品群において表現したかったことについてまた振り返ってみたいと思います。第二作目の邦訳刊行はもうすぐですね。

 

【満足度】★★★★☆