文学・会議

海外文学を中心に、読書の備忘録です。

J・アップダイク『金持になったウサギ』

J・アップダイク 井上謙治

『金持になったウサギ』 新潮社

 

J・アップダイク(1932-2009)の『金持になったウサギ』を読了しました。『走れウサギ』(1960)、『帰ってきたウサギ』(1971)に続いて、1981年に発表されたウサギことハリー・アングストロームの人生を描くシリーズの三作目。アップダイクは本作で、ピューリッツァー賞、全米図書賞、全米批評家協会賞というアメリカの三大文学賞をすべて受賞しているというのですから、何ともすごい話ではあります。

 

46歳になったウサギは、妻ジャニスの実家である自動車販売店を継いで、本書のタイトルが示すとおり金持ちになっています。個人的にはロータリークラブの活動に参加するウサギの姿に、ちょっとした戸惑いを覚えてしまいました。折しも1980年代は円安の影響を受けて輸出産業が好調な日本の車が全米を席巻していた時代で、ハリーの会社スプリンガー・モータースもトヨタ車の販売で堅調な利益を上げています。そんな中、大学を休学して実家に戻ってきた息子のネルソンの存在を巡って、本書のプロットは展開していくことになるのですが、ネルソンは女友達のメラニーを実家に連れ帰ったかと思ったら、メラニーとは別の妊娠中の彼女プルーの存在が明らかになり、相変わらずウサギの家は外部からの闖入者によって、揺り動かされていくことになります。

 

第一作に登場するルースや、第二作でジャニスの浮気相手となるチャーリーなど、お馴染みの登場人物たちとも交流しながら、ハリーはひとつの透明な媒介としてこの時代のアメリカ社会を生きていこうとしているかのようです。訳者あとがきではウサギ四部作の第一作を宗教小説、第二作を政治小説、そして大三作の本書を経済小説とする批評が紹介されていますが、ハリーの自我の描かれ方という視点でみても、この図式には納得させられる部分があります。

 

以下は本書の末尾で、ネルソンの子どもであり自身の孫である赤ん坊の姿をハリーが眺める場面。

 

あらゆることを突き抜け、この子はここにでてきたのだ。彼の膝、彼の手の上で、ほとんど目方はないが、生きている本当の存在なのだ。足手まといになるかもしれぬ運命の人質、心の欲望、孫娘。自分のもの。自分の寿命を縮めるもの。自分のもの。

 

ハリーは実存への手掛かりを獲得することができるのか、最後の第四作目がどのような結末を迎えるのか気になるところです。

 

【満足度】★★★★☆