ウィリアム・シェイクスピア(1564-1616)の『じゃじゃ馬ならし』を読了しました。学生の頃に新潮文庫の翻訳で読んだ記憶があるのですが、細かい筋立てはすっかり忘れてしまっていました。注釈を付けない潔さで訳された小田島訳でこのたび読み直すことになります。本作品には序幕があり、いわば枠物語のような体裁になっていることも今回の読み直しで初めて意識することになりました。
結婚相手は持参金の額で決めると豪語するペトルーチオが「じゃじゃ馬」で知られる女性キャタリーナを「手なずける(taming)」というのが物語の筋なのですが、現在の視点からすると女性蔑視も甚だしく、何だかなぁというところです。現代においてこの劇が上映されたとして、第五幕第二場でのキャタリーナの「妻たるもの」の演説を私たちはどのような思いで聴くのでしょうか。
【満足度】★★★☆☆