文学・会議

海外文学を中心に、読書の備忘録です。

コーマック・マッカーシー『すべての美しい馬』

コーマック・マッカーシー 黒原敏行訳

『すべての美しい馬』 ハヤカワ文庫

 

コーマック・マッカーシー(1933-)の『すべての美しい馬』を読了しました。昨年末頃に彼の『ザ・ロード』を読んで、冬の寒さも相まって荒涼とした世界の描写とそのなかで感じられる不思議な温かさに感動したのですが、本書も独特の読後感を残してくれる作品でした。

 

主人公のジョン・グレイディ・コールは16歳。自分が暮らすテキサスの牧場が人手に渡ることを知ると、愛する馬を駆って友人とともに南の国境を越えてメキシコに向かいます。ハイウェイを走るトラックの音が聞こえる路傍で馬の鞍を枕にキャンプをして、国境の川を越えてメキシコへと至る冒頭の描写は、その情景を想像するだけでも心が躍るロードノベルとして秀逸です。この時点で既に16歳の行動力とはとても思えないのですが、途中で出会ったさらに年下の少年を通じて、彼と友人のロリンズはメキシコの地に根差す暴力の渦に巻き込まれていくことになります。しかしその暴力を描くマッカーシーの筆致はしっかりと抑制が効いていて、「こちらの温かい体にはいりたがっている鉄でできた冷たいイモリのようなナイフの刃」を前にして生きるために闘うジョン・グレイディの姿にはどこか静謐さすら感じられます。

 

登場人物のセリフには引用符(日本語であれば一重の鍵括弧)を付けるのが通例ですが、コーマック・マッカーシーのテキストでは、地の文とセリフの間にはせいぜい句読点が付けられるだけで区別なく用いられており、それが独特な文体となって彼の作品を形作っています。そしてそれらのテキストのなかでは、登場人物の心情が語られることはほとんどありません。この文体が最大限の効果を発揮していると感じられたのは、物語の終盤で故郷アメリカに帰り着いたジョン・グレイディが判事に向かって自らの思いを吐露する場面です。

 

翻訳のおかげもあるのだと思いますが、読んでいると癖になる文体で、テキストに入り込むとそこから抜け出すのに苦労してしまいます。国境三部作はすべて読み切りたいと思います。

 

【満足度】★★★★☆