文学・会議

海外文学を中心に、読書の備忘録です。

Barry Stroud “The Significance of Philosophical Scepticism”

Barry Stroud

“The Significance of Philosophical Scepticism” Oxford University Press

 

Barry Stroudの “The Significance of Philosophical Scepticism”を読了しました。原著の出版は1984年で、『君はいま夢を見ていないとどうして言えるのか―哲学的懐疑論の意義』というタイトルで春秋社から邦訳も刊行されているのですが、邦訳が流通している期間に買いそびれてしまったため、仕方なく英語で読み進めることにしました。特有の複雑な議論を英語で追っていくのは、いささか難儀でした。

 

邦題のタイトルにもある「君はいま夢を見ていないとどうして言えるのか」というテーゼは、ストラウドが本書で繰り返し立ち返ることになる問いで、これはデカルトが主著『省察』の第一省察において主題とした問いでもあります。ストラウドは、「自分が夢を見ているのではないと知っていることは、世界について何ごとかを知っていると言えるための条件である」というデカルトのチャレンジ条件を受け入れた上で、「私たちは、自分が夢を見ているのではないということを知ることができる」ということを主張する(デカルトのチャレンジ条件を満たそうとする)ことは不可能であると述べます。

 

ストラウドは本書において、オースティン、ムーア、カント、カルナップ、クワインらの懐疑論に対する分析哲学の認識論的系譜を辿りながら、彼らの議論が本当に伝統的懐疑論を乗り越えることができているのかどうか、「診断(diagnosis)」を進めていきます。これらの診断の中に感じられる微妙な違和感やすれ違いにこそ、ストラウドが強調したい哲学的懐疑論の意義が存在しているのですが、少し頭が痛くなってしまう議論ではあります。

 

【満足度】★★★★☆

伊藤邦武『フランス認識論における非決定論の研究』

伊藤邦武

『フランス認識論における非決定論の研究』 晃洋書房

 

伊藤邦武の『フランス認識論における非決定論の研究』を読了しました。ブートルー、ポアンカレデュルケームという日本の哲学研究史においては決して注目されてきたとはいえないフランスの3人の思想家に「非決定論」という主題から光を当てた研究書です。著者の師匠筋にあたる野田又夫氏やイアン・ハッキングから受けた影響も語られながら、ウィリアム・ジェイムズを通じて著者の専門であるアメリカのプラグマティズムにも合流するこの思想史上の潮流は、まさに著者のこれまでの研究のクロスポイントであるといえそうです。

 

二十世紀後半の哲学における主戦場となった科学的実在論反実在論を巡る論争からは一定の距離を置きながら、著者はブートルーの掲げる「偶然性と自由の哲学」のうちに、これからの哲学の可能性を見て取ります。哲学史に対する広く深い視野を持つ著者ならではの視点で、深く考えさせられるものがあります。

 

【満足度】★★★★☆

ジョナサン・サフラン・フォア『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』

ジョナサン・サフラン・フォア 近藤隆文訳

ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』 NHK出版

 

ジョナサン・サフラン・フォア(1977-)の『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』を読了しました。“Extremely Loud and Incredibly Close”という原タイトルを直訳した長い長い邦題が印象的な本書ですが、「ヴィジュアル・ライティング」と呼ばれる手法を駆使した写真や図版を使っての表現、場合によってはメタフィクショナルでもある手法もユニークです。

 

物語は9.11で父親を亡くした少年オスカーの「冒険」を主軸にして、視覚を失ったオスカーの祖父による手記や、オスカーの祖母の視点からなる家族の物語が挿入されながら展開されていきます。本書の最後に登場する連続写真によるフリップブックは、想像力による現実のコラージュを通じて、現実の先へと向かおうとする意思を示すもので、本書の主題とも相まって見事な表現になっています。

 

【満足度】★★★★☆

シュトルム『美しき誘い 他一篇』

シュトルム 国松孝二訳

『美しき誘い 他一篇』 岩波文庫

 

テオドール・シュトルム(1817-1888)の『美しき誘い 他一篇』を読了しました。現在はデンマーク領である北ドイツ地方に生まれたシュトルムは、法律家であり、詩人・作家でもあります。本書は表題作のほかに「静かなる音楽家」が収録されたごく短い作品です。

 

静かなる音楽家の芸術への真摯な姿勢と、静かな友人づきあいについての回想から思わぬ再開へと至る、純文学小説のひとつの王道テンプレートからなる「静かなる音楽家」は、どこか懐かしさを感じさせる読書体験をもたらしてくれました。

 

【満足度】★★★☆☆

綿矢りさ『蹴りたい背中』

綿矢りさ

蹴りたい背中』 河出文庫

 

綿矢りさの『蹴りたい背中』を読了しました。芥川賞最年少受賞ということで当時も大いに話題になった本書ですが、ふと読み返してみたくなって古本屋で文庫本を購入しました。発表当時も感じましたが、文学作品としては至極真っ当な王道的作品で、とても巧みに書けているというのが相変わらずの感想でした。

 

【満足度】★★★☆☆

G・ガルシア=マルケス『悪い時 他9篇』

G・ガルシア=マルケス 高見英一他訳

『悪い時 他9篇』 新潮社

 

G・ガルシア=マルケス(1928-2014)の『悪い時 他9篇』を読了しました。1958年から1962年にかけて発表された中短編を収録した作品集です。「大佐に手紙は来ない」、「ママ・グランデの葬儀」などの短編が有名どころで、表題作である中篇作品「悪い時」では、他の短編作品の語り手や視点人物たちも登場しながら、ある町における不穏な時の流れが群像劇のかたちで描かれています。

 

「悪い時」における「独裁」の表現の仕方は、ガルシア=マルケスが『族長の秋』などで描いてみせた独裁者の姿とはまた別のものになっていて、大変興味深く読むことができました。クールな文体で、初期のファンタジックな語り口とも、この作品の5年後に書かれる『百年の孤独』の魔術的な叙述とも異なっていて、これはこれで良いですね。

 

【満足度】★★★★☆

滝口悠生『ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス』

滝口悠生

ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス』 新潮文庫

 

滝口悠生の『ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス』を読了しました。滝口氏が芥川賞を受賞する前年に発表した作品で、著作としては三冊目にあたるのが本書です。まさに「体験」という他はない「ジミ・ヘン」の音楽をモチーフにして、若者の青春の日々と当てのない旅の様子、そしてそれらを回想する現在の様子とが、時制を変えながらフラッシュバックのように描かれていきます。

 

くっきりした情景が目に浮かぶ冒頭の場面から、円環的に回帰する最後の場面まで、鮮やかな印象が残る作品です。著者の他の作品も読んでみたいと感じさせられました。

 

【満足度】★★★★☆