文学・会議

海外文学を中心に、読書の備忘録です。

ナーダシュ・ペーテル『ある一族の物語の終わり』

ナーダシュ・ペーテル 早稲田みか・簗瀬さやか訳

『ある一族の物語の終わり』 松籟社

 

ナーダシュ・ペーテル(1942-)の『ある一族の物語の終わり』を読了しました。何となく不思議なタイトルですが、原題は“Egy családregény vége”で、英訳では“The End Of A Family Story”となっています。本書はハンガリー語からの翻訳とのこと。

 

主人公は作者と同じ名前を持つシモン・ペーテル(訳者あとがきによると、ハンガリー語では日本語と同様に名前は姓・名の順に表記するようです)で、まだ子どもです。年齢は明記されていなかったと思うのですが、言動から推察すると7歳~8歳といったところでしょうか。この少年の目を通して語られる日常と、祖父から受け継がれる一族の(というより民族の)歴史の物語と、それらの「終わり」が描かれています。改行なしに続いていく異様に長いパラグラフは、物語の節目で切り替わるのではなく、意味の途中で断ち切られて、不思議な感覚を残します。

 

子ども―父―祖父という三世代が描かれていますが、物語において重要な役割を果たしているのは父世代で、この世代に生まれたある種の断絶が、その下の世代に終焉をもたらしています。主人公のペーテルも、そしてエーヴァとガーボルという主人公の近所に住む姉弟も、同じように父世代の断絶の代償を支払うかたちで、歴史の陥穽へとはまり込んでいきます。そしてその陥穽の底では、物語ではなく秩序をもたらす笛の音が一切を支配することになるようです。

 

カフカ賞作家でもあるナーダシュ・ペーテルですが、邦訳されているのは本書のみ。英語からの重訳でもよいので、他の著作も読んでみたいですね。

 

【満足度】★★★★☆

マイケル・ポランニー『暗黙知の次元』

マイケル・ポランニー 高橋勇夫訳

暗黙知の次元』 ちくま学芸文庫

 

マイケル・ポランニー(1891-1976)の『暗黙知の次元』を読了しました。ハンガリー生まれの医学者であり科学哲学者であるポランニーが、明示的な知識(たとえば「Sはpである」と命題化することができるような知識)に対して、私たちの知的活動の中に伏在しながらもこれまで光を当ててこられなかった概念として取り出してみせようとするのが本書の主題である「暗黙知」です。

 

本書の第一章において、ポランニーは「私たちは言葉にできるより多くのことを知ることができる」ということから出発します。それ自体は自明とも思われるこの事実を厳密に表現へともたらすために、ポランニーはギルバート・ライルのいう「方法を知ることと内容を知ること」の区別やゲシュタルト心理学、あるいは広告のサブリミナル効果にも言及しながら、暗黙知の相貌を浮き上がらせていきます。そして第二章になると、この暗黙知のダイナミズムが生物学等における「創発」の概念と結びついて論じられるのですが、さらに第三章に至ってはこれが「宇宙論的な全景」まで拡大されて、社会や倫理の在り方にまで話が及んでいきます。ここまでいくと少し付いていけない部分もあるのですが、楽しく読むことはできました。

 

かつてのソビエト・ロシアで自由で自立的であるはずの科学的思考が自己否定に至る姿を目撃したというポランニーは、「私たちの文明全体は極端な批判的明晰性と強烈な道義心の奏でる不協和音に満たされて」いるという認識のもとで人間のナレッジの在り方を反省したと述べています。そこで見いだされた概念が暗黙知だったというわけで、その概念が彼の思想のなかで最終的には倫理的な役割も担うことになるというのは必然的な事態だったのでしょう。

 

【満足度】★★★★☆

ウラジーミル・ソローキン『青い脂』

ウラジーミル・ソローキン 望月哲男・松下隆志訳

『青い脂』 河出文庫

 

ウラジーミル・ソローキン(1955-)の『青い脂』を読了しました。ソローキンの作品を読むのも、現代ロシア文学(本書の原著が出版されたのは1999年のこと)に触れるのも、今回が初めての経験です。

 

特異な言語を操りながら、文学者のクローン(「ドストエフスキー2号」や「ナボコフ7号」!)を使役して「青い脂」を生み出すボリス・グローゲルをめぐる近未来世界の物語と、スターリンフルシチョフとの性生活に励むパラレルワールドめいた世界の物語と、大別して本書には二つの時制があるようです。そのいずれもが下品で不可思議な表現(エロ・グロ・ナンセンス)に貫かれていて、文庫本にして600ページほどの分量を読み進めていると、いささか辟易してしまうところもあります。

 

ただクローン文学者の作品部分は無類に面白く、細かい文体模写(ロシア語はまったく解りませんが、それでも似ているのは何となく解るものでした)に加えて、いささか過剰に「癖」を強調してみせる手筋など、ものまね芸のセオリーをしっかりと踏襲したものになっていて感心させられました。

 

【満足度】★★★☆☆

津田敏秀『医学と仮説 原因と結果の科学を考える』

津田敏秀

『医学と仮説 原因と結果の科学を考える』 岩波書店

 

津田敏秀の『医学と仮説 原因と結果の科学を考える』を読了しました。同じ著者の『医学的根拠とは何か』よりも前に発表されたのが本書で、力点は多少異なりながら、本書においても疫学的なアプローチ(というよりも著者の直接的な言い方を借りれば「科学」や「因果関係」の本質というもの)への無理解が、医学界に引き起こす害悪についての主張が展開されています。

 

科学哲学者の伊勢田氏と本書の著者との間に、特にヒューム解釈をめぐって(作家の川端裕人氏のブログのコメント欄を舞台に)議論が行われたことは何となく知ってはいるのですが、その発端になったのが本書です。たしかに「ヒュームが原因を定義した」と言われると、私も「ん?」と思ってしまう部分はあるのですが、そんなところで引っかかってしまうのは、本書にとっても大変もったいないことだとまたしても感じるのでした。

 

【満足度】★★★☆☆

モーム『ジゴロとジゴレット モーム傑作選』

サマセット・モーム 金原端人訳 

『ジゴロとジゴレット モーム傑作選』 新潮文庫

 

サマセット・モーム(1874-1965)の『ジゴロとジゴレット モーム傑作選』を読了しました。訳者あとがきによるとモーパッサンをお手本にしたというモームの短編集ですが、本書には人間の業のようなものを感じさせる8編が並んでいます。『月と六ペンス』、『英国諜報員アシェンデン』と読んできた新潮文庫でのモームの新訳ですが、本書が一番楽しく読むことができた作品かもしれません。ただ、うまいとは思うけれどあまり感動しない、といういつもと同じ感想を抱いてしまうのでした。

 

【満足度】★★★☆☆

村上龍『海の向こうで戦争が始まる』

村上龍

『海の向こうで戦争が始まる』 講談社文庫

 

村上龍の『海の向こうで戦争が始まる』を読了しました。本書は村上龍の小説第二作目で、作者自身が本書の「あとがき」で、バーで出会ったリチャード・ブローティガンからの言葉として(この挿話自体がフィクションなのだと思いますが)「二作目は、一作目で習得した技術と想像力で書ける」と評するように、小説第一作目である『限りなく透明に近いブルー』の延長線上で書かれた作品のように見受けられます。ただ、そうやって本作を自ら対象化しつつも、来るべき第三作目に目を向けているところが、何とも村上龍氏らしいとことなのかもしれません。

 

【満足度】★★★☆☆

津田敏秀『医学的根拠とは何か』

津田敏秀

『医学的根拠とは何か』 岩波新書

 

津田敏秀の『医学的根拠とは何か』を読了しました。疫学を専門とする医学者による「医学的根拠」とは何かを巡る論説です。医学者(医師)を「直観派」、「メカニズム派」、「数量化派」に分類するところは解りやすいのですが、その分それが安易なレッテル貼りになっていないかの精査は必要なのだろうと感じます。

 

著者の主張の多くの部分には納得させられるのですが、ヒュームによるとされる「原因の定義」にはいささか首をかしげざるを得ないところもあります。ヒュームを援用しての説明については、むしろない方が説得力のある議論を展開できるのではないかと感じました。

 

【満足度】★★★☆☆