文学・会議

海外文学を中心に、読書の備忘録です。

マルクス・ガブリエル『新実存主義』

マルクス・ガブリエル 廣瀬覚訳

『新実存主義』 岩波新書

 

マルクス・ガブリエルの『新実存主義』を読了しました。「哲学界のロックスター」と奇妙なもてはやされ方をしているマルクス・ガブリエルは、テレビにも登場する現代の哲学者として(哲学という学問に特別の関心を持たない)一般の人にもその名が知られるようになっているようです。いくつかの著作が邦訳されているようですが、入手しやすい新書のかたちで比較的専門的な議論が展開されているという本書を手にとってみました。

 

いわゆる「心の哲学」の領域で議論されてきた心脳問題における自然主義(行き過ぎた物理的還元主義)はひとつの失敗に終わる形而上学であると説くガブリエルは、それに反対する自らの立場を「新実存主義」と名づけています。ガブリエルが実存主義の系譜に連なる哲学者として挙げる、カント、ヘーゲルニーチェキルケゴールハイデガーサルトルは「人間の心に制度を作る能力があるという信念」を最小限の共通前提として持っており、自己理解を通じて変化する存在であるという人間の特徴を言い表して、ガブリエルはそれを「精神(Geist)」と呼ぶことで、物理的世界観における「自然種」と対比的なものとして提示します。この新実存主義存在論(自然種と精神)はデカルト的二元論を継承するものではなく、自転車とサイクリングの関係によってよく表されているとガブリエルは言うのですが…

 

「『分析系』の哲学や『大陸系』の哲学などというものがあるという見方を、私は決して認めない」と述べるガブリエルの今後の思想展開に注目してみたいと思います。

 

【満足度】★★★★☆

筒井康隆『創作の極意と掟』

筒井康隆

『創作の極意と掟』 講談社文庫

 

筒井康隆の『創作の極意と掟』を読了しました。方法論に自覚的な作家(そうでない作家の方が例外的なのかもしれませんが)である筒井氏の創作論、というよりは批評的エッセイが収録されたのが本書です。肩の力が抜けた書きぶりを心地よく楽しむことができた反面、同時に物足りなさも感じます。

 

【満足度】★★★☆☆

ミロラド・パヴィチ『ハザール事典 夢の狩人たちの物語[男性版]』

ミロラド・パヴィチ 工藤幸雄

『ハザール事典 夢の狩人たちの物語[男性版]』 創元ライブラリ

 

ミロラド・パヴィチ(1929-2009)の『ハザール事典 夢の狩人たちの物語[男性版]』を読了しました。現在のセルビアベオグラードで生まれたパヴィチが書いた奇妙な書物である本書は、木原氏の『実験する小説たち』でも取り上げられていました。かつて実在し、歴史からは姿を消したハザール族を巡る「事典」の形式で書かれた小説が本書です。

 

本書のユニークさは「事典」形式という点のみにあるのではなく、主題であるハザール族が、複雑な歴史的・文化的な交錯の下にあったという事実も、本書の企みを深めています。たとえば、ハザールの王女である「アテー」を巡る事典の記述は、キリスト教関係資料、イスラム教関係資料、ユダヤ教関係資料のそれぞれにおいて異なるもので、それらを読み比べるだけでも楽しむことができます。さらには本書の「男性版」と「女性版」の存在が、小説としてのオチもつけていて、贅沢な構成になっています。

 

【満足度】★★★☆☆

カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』

カズオ・イシグロ 土屋政雄

『わたしを離さないで』 ハヤカワ文庫

 

カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』を読了しました。昔ハードカバーで翻訳が出たときに読んで以来、何年ぶりかの再読となりました。当時はミステリーの文脈でも話題になった作品で、そういえばテレビドラマ化もされていましたし(見てはいないですが)、イシグロの作品の中でも最も有名な作品のひとつといえるかもしれません。

 

謎が解けることのカタルシスも本書の魅力の一つではあるのでしょうが、今回再読してあらためて気付かされたのは視点の多様性とでも言うべきものでした。語り手である主人公キャシーの見た世界、親友のトミーが見た世界、ルースが見た世界、そして保護官である先生が見た世界。特に本書のタイトルのもとになった作中のエピソードには、この多様性が顕著に現れているような気がします。

 

【満足度】★★★★☆

リチャード・セイラー/キャス・サンスティーン『実践行動経済学 健康、富、幸福への聡明な選択』

リチャード・セイラー/キャス・サンスティーン 遠藤真美訳

『実践行動経済学 健康、富、幸福への聡明な選択』 日経BP

 

リチャード・セイラーとキャス・サンスティーンの『実践行動経済学 健康、富、幸福への聡明な選択』を読了しました。本書はノーベル経済学賞を受賞したセイラー(とサンスティーン)の著書で、原題は“Nudge”です。いわゆる「リバタリアンパターナリズム」という一見すると語義矛盾かとも思える立場から、新しい人間像に基づいた経済学や政治哲学が展開されています。

 

リバタリアンパターナリズム」は、その出自からして興味深い概念だと感じるのですが、経済学だけではなく倫理学的側面からまた別の機会にもう少し深めてみたいと思うのでした。

 

【満足度】★★★☆☆

池澤夏樹『スティル・ライフ』

池澤夏樹

スティル・ライフ』 中公文庫

 

池澤夏樹の『スティル・ライフ』を読了しました。1988年に芥川賞を受賞した作品です。個人文学全集の編者として、また書評家としての池澤氏については知っているのですが、実際のところ小説を読むのは初めてのことでした。不思議な清廉さを持った小説で、日本文学とは別の系譜に連なる印象を受けました。

 

【満足度】★★★☆☆

レイモンド・チャンドラー『ロング・グッドバイ』

レイモンド・チャンドラー 村上春樹

ロング・グッドバイ』 ハヤカワ文庫

 

レイモンド・チャンドラー(1888-1959)の『ロング・グッドバイ』を読了しました。ずっと昔に清水氏の翻訳で読んだことはあったのですが、久しぶりの再読となりました。プロットの大枠(いわば最初と最後)は覚えていたのですが、途中のストーリーはすっかり忘れてしまっていて、こんなに長い物語だったかなと少し驚きました。ハードボイルドものは、もともとプロットで魅せるジャンルと言ってよいのか、プロット自体はあまりシンプルなものではないのですが。

 

この翻訳を読んであらためて感じたのは、チャンドラー作品が村上春樹氏に与えた影響の大きさです。フィリップ・マーロウが様々な登場人物と交わす会話は、まさに村上氏の小説の主人公のようです(順番は逆なのですが)。翻訳は読みやすく、村上氏の約したチャンドラーの長編7作品もそのうちすべて読んでみたいと思います。

 

【満足度】★★★☆☆