文学・会議

海外文学を中心に、読書の備忘録です。

カート・ヴォネガット『スラップスティック』

カート・ヴォネガット 浅倉久志

スラップスティック』 ハヤカワ文庫

 

カート・ヴォネガット(1922-2007)の『スラップスティック』を読了しました。1976年に発表された長編小説です。本書では、主人公であるウィルバー(プロローグにはめ込まれた「枠」を考慮するとそこには捻じれがあるのですが)の手記という体裁で彼の数奇な人生を描くというヴォネガットお得意の手法で描かれた物語が展開されています。

 

主人公と同様に奇形に生まれた姉との共生、重力が強まり謎の奇病が発生する荒廃した世界、統治機構の変容、そして新しい家族形態の発生。過剰なガジェットが用意されて「スラップスティック」と名づけられるに相応しいドタバタ劇が繰り広げられるわけですが、いささか各エピソードが消化不良に終わってしまった感は否めません。それも含めて「スラップスティック」というまとめ方なのかもしれませんが。

 

【満足度】★★★

チャック・パラニューク『ファイト・クラブ』

チャック・パラニューク 池田真紀子訳

ファイト・クラブ』 ハヤカワ文庫

 

チャック・パラニューク(1962-)の『ファイト・クラブ』を読了しました。デヴィッド・フィンチャー監督のもとブラッド・ピットが主演して大ヒットした映画については、私は未視聴だったのですが、そのおかげもあってネタバレを受けることなく原作である本書を楽しむことができました。とはいえ「何か仕掛けがある」というレベルの情報を受け取ってしまっただけで、本書のいわゆるオチの部分には見当がついてしまっていて、それもどうなのだろうと感じさせられてしまうのですが。

 

ブレット・イーストン・エリスはパラニュークを評して「ぼくたちの世代のドン・デリーロ」と評しているとのことですが、ひとつの陥穽から宇宙的に広がっていく破滅のイメージはデリーロの作風と本書から受ける印象に共通するものがあるのかもしれません。本書の解説でアメリカ文学者の都甲氏が哲学者の戸田山氏の言葉を引いて「啓蒙」と呼んだ作中のエピソードも忘れがたいものでした。

 

【満足度】★★★

ヘニング・マンケル『背後の足音』

ヘニング・マンケル 柳沢由実子訳

『背後の足音』 創元推理文庫

 

ヘニング・マンケル(1948-2015)の『背後の足音』を読了しました。刑事ヴァランダーを主人公とするシリーズ小説の第七作目にあたる本書は、本国スウェーデンでは1997年に刊行されています。私自身は“福祉の充実した戦争とは無縁の平和な国”という漠然とした印象を持っていたスウェーデンですが、本シリーズ作品を通じて、その認識はあまりにも無垢に過ぎることに気付かされます。

 

犯罪者との対峙だけではなく、体調の不安や自分のキャリアに関する疑念(この部分は本書ではいくらか薄まっていると思いますが)いわゆるミッドライフクライシスと闘う主人公ヴァランダーの姿には身につまされるものがありました。本シリーズも短編作品数を含めて未読の作品は残り五作品となりましたが、一通り最後まで読んでみたいと考えています。

 

【満足度】★★★

L.A.ポール『今夜ヴァンパイアになる前に【分析的実存哲学入門】』

L.A.ポール 奥田太郎・薄井尚樹訳

『今夜ヴァンパイアになる前に【分析的実存哲学入門】』 名古屋大学出版会

 

L.A.ポールの『今夜ヴァンパイアになる前に【分析的実存哲学入門】』を読了しました。著者は、本書カバー裏に記された略歴によれば、ノースカロライナ大学チャペルヒル校の哲学教授で、形而上学心の哲学、科学哲学、認知科学の哲学、形式認識論などの領域を中心に活躍しているとのこと。

 

本書の原題は“Transformative Experience”=「変容的経験」で、まさに本書の主題は著者が「変容的経験」と呼ぶものの内実を明らかにすることにあるのですが、この馴染みのない概念を多少なりとも馴染みやすいものとするために、その「変容的経験」の代表事例として本書で挙げられている「ヴァンパイアになる」というフレーズが邦題として掲げられています。また、哲学的な議論の文脈からいうと、その変容的経験を前にしての「意思決定」が本書の重要なテーマであることを考えると、この邦題はしっくりくるものになっていると思います。「分析的実存哲学入門」というサブタイトルで、本書が取り扱う問いの性格とそこへのアプローチ方法まで明示されているという親切設計のタイトルです。

 

主題が非常に面白いというか、それを浮き彫りにしたところに本書の主要な価値は存在しているのだと思います。ただ、そこまでが哲学の仕事、という側面もあって、それは何とももどかしいところはあるのですが。

 

【満足度】★★★

大江健三郎『「自分の木」の下で』

大江健三郎

『「自分の木」の下で』 朝日文庫

 

大江健三郎の『「自分の木」の下で』を読了しました。1999年から2000年にかけてのベルリン自由大学で講義を行っていた時代に、現地の日本人学校で子どもたちに話して聞かせたという文章が基になったという「なぜ子供は学校に行かねばならないのか」に導かれるようにして出てきた、未来の子どもたちに向けた16編のエッセイからなる作品集です。作者の妻である大江ゆかり氏による挿画、そして文庫本のためのあとがきとしてもう1編のエッセイも収録されています。

 

たびたび自身の小説の中で語ってきた愛媛の山村での少年時代の回想を中心にしたエッセイが多いのですが、作家自身の両親や祖母に関する直接的な言及が多いのが本書の特徴といえるのではないでしょうか。大江氏の代名詞ともいえる難渋な言い回しは、作家自身が自負するように、その「癖」のようなものを活かしつつも、より簡便な表現に昇華されているように思います。

 

【満足度】★★★

スチュアート・ダイベック『シカゴ育ち』

スチュアート・ダイベック 柴田元幸

『シカゴ育ち』 白水Uブックス

 

スチュアート・ダイベック(1942-)の『シカゴ育ち』を読了しました。文学研究者で翻訳家でもある柴田氏が「これまで訳した中で最高の一冊」と述べている作品(それがいつの時点のことなのかは分からないのですが)です。14編の作品が収録された短編集ですが、同じ「短編」とはいってもその長さは様々で、翻訳にして5ページ以内で幕切れとなる短い作品もあれば、いわゆる短編小説らしい長さのものもあります。

 

印象に残ったのは冒頭の「ファーウェル」という作品で、とても短い一篇なのですが、雪の情景を含めて景色がパッと頭の中に浮かんでくる抒情的な作品です。登場人物であるロシア文学のゼミ講師が語る「でもね、ひとつの場所にとどまっていると、いずれ遅かれ早かれ、自分が属す場所がもうなくなってしまったことを思い出してしまうんだよ」という台詞がとてもリアルに感じられるのでした。

 

【満足度】★★★

スティーヴン・キング『IT』

スティーヴン・キング 小尾芙佐

『IT』 文春文庫

 

スティーヴン・キング(1947-)の『IT』を読了しました。二度にわたって映画化もされた、文庫本にして四巻の分量となる大作ですが、内容的にもキングの代表作と呼ぶのに相応しい内容となっています。27年前の過去と現在が交互に描かれながら、主人公たちの生まれ故郷えあるデリーの街に巣食う邪悪な存在である「IT」との精神的かつ物質的な戦いが展開されていきます。

 

青春小説(というよりも少年小説)的な要素とホラー要素とが巧妙に同居した作品ですが、時折出てくるキングらしい下品な描写が人によってはくどく感じられてしまうかもしれません。性的なモチーフが物語の本筋に関わってくるという点については、キングの作品としては珍しく感じられたのですが、どうなのでしょうか。

 

【満足度】★★★