文学・会議

海外文学を中心に、読書の備忘録です。

ピエール・ルメートル『僕が死んだあの森』

ピエール・ルメートル 橘明美

『僕が死んだあの森』 文春文庫

 

ピエール・ルメートル(1951-)の『僕が死んだあの森』を読了しました。比較的短い作品なのですが、よく出来たクライムノベルです。作者お得意の意外な展開はやや影を潜めているというか、若干大人しい印象もあるのですが、物語の終盤で主人公が迫られる二者択一には乾いた絶望感がにじみます。

 

【満足度】★★★☆☆

北村薫『玻璃の天』

北村薫

『玻璃の天』 文春文庫

 

北村薫の『玻璃の天』を読了しました。シリーズ第二弾となる作品ですが、作者らしい細やかな伏線を張り巡らせた本格ミステリーであり、優れた歴史小説にもなっていると思います。登場人物を巡る謎にも進展があって、物語のクライマックスへと向けて十分な準備が整ったといったところでしょうか。

 

【満足度】★★★☆☆

マリオ・バルガス=ジョサ『嘘から出たまこと』

マリオ・バルガス=ジョサ 寺尾隆吉訳

『嘘から出たまこと』 現代企画室

 

マリオ・バルガス=ジョサ(1936-)の『嘘から出たまこと』を読了しました。後にノーベル賞を受賞することになる作家の手になる書評集・評論集です。作者がその影響を公言するアンドレ・ブルトンの作品(『ナジャ』)をはじめ、ジョイスやヘッセなどヨーロッパの作家、フィッツジェラルドヘミングウェイ、フォークナーなどの北米作家、アレホ・カルペンティエールの『この世の王国』などラテンアメリカ作家の作品、はたまた川端康成の『眠れる美女』に至るまで、硬軟入り混じる世界文学の作品群が自由自在に論じられています。海外文学のブックガイドとしても活用できるかもしれません。

 

本書に収録された「文学と生活」と題された、あとがきめいたエッセイで、作者はマイクロソフト社の創始者であるビル・ゲイツの言葉に触れながら、紙の本に対する偏愛を吐露しています。

しかし、私とて世界のニュースなら喜んでインターネットで検索して読むが、ゴンゴラの詩やオネッティの小説、オクタビオ・パスのエッセイともなれば、画面に現れるテクストはまったく印象が違うから、そのままネット上で読む気にはならない。根拠があるわけではないが、本という形態が消滅すれば文学には深刻な、おそらくは致命的な悪影響が出ると私は確信している。名目上文学とは呼ばれても、それは今日我々が文学と呼ぶものとはまったく無縁な産物となるだろう。

 

日々部屋の中に増えていく本の山を見ながら、この文章を読むと何ともいえない感慨を覚えるのでした。

 

【満足度】★★★★☆

フーケー『水妖記(ウンディーネ)』

フーケー 柴田治三郎訳

『水妖記(ウンディーネ)』 岩波文庫

 

フーケー(1777-1843)の『水妖気(ウンディーネ)』を読了しました。プロイセン王国でフランス人の父とドイツ人の母との間に生まれたフーケーは、軍人を辞めた後に作家となり、現代であればファンタジーと呼ばれるような作品群を残しています。本書はフーケーの代表作で、水の精霊とされるウンディーネと騎士との間のロマンスとやがて訪れる悲劇が叙情的に描かれています。

 

ひとつの幻想譚として、舞台や映画のような媒体ではその魅力が高まるのかなという気がしました。文学作品としては、いささか描写がさらりとしている部分が気になってはしまうのですが。

 

【満足度】★★★☆☆

平野啓一郎『本心』

平野啓一郎

『本心』 文藝春秋

 

平野啓一郎の『本心』を読了しました。四半世紀後の日本という近未来を舞台に、現実の社会に確かな眼差しを据えたまま、まっすぐな思索の道筋を小説というかたちで綴ってみせた作品です。物語に登場する老作家を評して言われる〈心の持ちよう主義〉という言葉は、「分人主義」を唱えて自らの小説世界の拡張を試みてきた作者にとっての、止揚へと至るためのアンチテーゼのようにも聞こえます。

 

AIやVR技術が発達した近未来社会にあって、主人公が従事するリアル・アバターという仕事が、作品の中でエッセンシャルワークに類するものとして位置づけられているかのように見えることには奇妙な感覚を抱かされます。表題に掲げられた「本心」なるものを巡る主人公の考察は、自然に受容されていた固定的な観念と、ふとした瞬間に逆説的に抱かれる感慨との間を行き来しながら、生きることの体験の中でひとつの気付きへと至ります。

 

とても読み応えのある作品で、充実した読書体験となりました。本書を読みながら、ミシェル・ウエルベックの小説のことが思い浮かんでいました。

 

【満足度】★★★★☆

吉村達也『セカンド・ワイフ』

吉村達也

『セカンド・ワイフ』 集英社文庫

 

吉村達也の『セカンド・ワイフ』を読了しました。主に集英社から刊行されている、作者が「心理サスペンス」と名付けている作品群のうちの一冊で、お互いの理想や打算のもとで成立する結婚を巡る不協和のうちに潜む異常性が主題とされています。コンパクトにまとまった一冊だと思うのですが、個人的にはいささか食傷気味といった感じもあります。

 

【満足度】★★★☆☆

ディケンズ『クリスマス・キャロル』

ディケンズ 池央耿

クリスマス・キャロル』 光文社古典新訳文庫

 

ディケンズ(1812-1870)の『クリスマス・キャロル』を読了しました。随分と昔に読んだのは新潮文庫の翻訳で、古めかしい装丁が懐かしく思い出されるのですが、21世紀になってからの新訳で、クリスマス時期に少し遅れたタイミングでこのたび読み直しを行うこととなりました。

 

過去と現在と未来におけるクリスマスの亡霊との邂逅を通じて、吝嗇家として知られていたスクルージは、まさに「クリスマスの精神」を体現する人物に生まれ変わることになるのですが、その祝祭性を読書においても味わうためには、やはり本書はクリスマスシーズンに読むべきであったと少しだけ後悔を覚えています。

 

【満足度】★★★☆☆