ヘッセ 酒寄進一訳
『デーミアン』 光文社古典新訳文庫
ヘッセ(1877-1962)の『デーミアン』を読了しました。学生時代に岩波文庫で読んだときの訳題の表記は『デミアン』だったと思うのですが、こちらの方が原語の発音に近いということなのでしょうか。1919年に発表された本書は『車輪の下』や『春の嵐(ゲルトルート)』などに代表される初期の小説郡から『荒野のおおかみ』や『ガラス球遊戯』などの後期あるいは晩年に発表された小説に至るまでのちょうど中間地点に位置する作品で、今回何年ぶりかに新訳で読み直してみて、いろいろと発見の多い読書となりました。
本書を以前に読んだとき、物語の前半で語られる主人公シンクレアのナイーブな少年時代の記憶(「ふたつの世界」)と主人公のメンターとして登場するデーミアンとの繊細な関係性が、物語の後半において奇妙な地獄めぐりのような様相を呈していくこと(特にそれはデーミアンの母親でもあるエヴァ婦人に対して主人公が投影するイメージによく顕れていると思うのですが)に、どこか過剰なものを感じ取ったことをよく覚えています。本書の解説では、ユング心理学やニーチェの哲学などいくつかのモチーフが本書の構想に影響を与えている旨が指摘されていますが、そうした多様な思想を内包しながら、また第一次世界大戦という未曾有の時代変化を背景にしながら、この決してすっきりとまとまっているわけではない混沌とした物語は、ヘッセの文学的計算のもとで、まさにこのような形態をとるに至ったのだと納得させられる部分がありました。
クローマーとの一件にまでさかのぼって、ぼくはデーミアンとの思い出を記憶に蘇らせた。彼がかつて語った言葉の数々。そのすべてがいまでも意味を持つ。一向に古びていないし、ぼくに関わりがある。
主人公シンクレアのいっぷう変わった自己形成(Bildung)の物語は、ヘッセの文学の道筋を辿るようでもあって、読者である私にとっても本書はひとつの説得力のある物語として立ち上がってくるのでした。
【満足度】★★★★★